話しが面白い人は何をどう読んでいるのか

250103 話しが面白い人は何をどう読んでいるのか

話が面白い人って周りにいませんか。喫茶店で隣の席から聞こえてくる会話でも、会議でのプレゼンでも、何かこう行きつけられてしまう人。同じ本を読んだはずなのに、その人が語ると何倍も面白く聞こえる。その違いは一体どこにあるのかなんて考えたことありませんか。単純に知識が豊富なだけではなく、何か物事の見方そのものが違うような、そんな感覚がします。

その味方の秘密に迫る一冊であります。三宅香帆の「話が面白い人は何をどう読んでいるのか」について解説していきます。

実はその秘密は単なる読書量ではなく本の読み方、もう少し言えばインプットした情報を自分の中でどう解釈するかにあるということになります。速読術や多読術のようなテクニックの話ではありません。読んだこと、見たこと、聞いたこと、すべてを自分の言葉で語れる面白い話のネタに変えるためのいわば鑑賞の技術について書かれています。ただの情報を消費者で終わるのではなく、自分だけの意味を見出す意味の創造者になるためのヒントを得ることができます。

この5つから、あなたの会話を、そして世界の見方すらも変えるかもしれないインプット術の核心部分を探っていきます。読書とは、話のネタ帳を作ることであります。これは、ただ情報をインプットするだけではなく、本を読みながら感じたことや、考えたことをいつでも引き出せるネタとして,ストックしていく、そういうイメージであります。そのような活動を鑑賞の技術として捉えていきます。普通、鑑賞というのは絵画や音楽を思い浮かべるかもしれませんが、この本では読書も同じであるということです。本の内容を受け身で摂取するのではなく、能動的に味わって解釈して、自分のものにしていく。その一連のプロセスが鑑賞ということになります。

読書というと、つい勉強や知識の吸収みたいに、何か正解があるようなイメージで捉えがちですが、鑑賞と捉えると、よりクリエイティブな,自由な行為に思えてきます。間違いというのはなく、自分がどう感じたかがすべてであります。情報を受け取って「知っている」で終わる人と、それを干渉して自分なりに語れるようになる人の違いが大きく分かれます。

話が、面白い話ができるという人は例外なく後者であります。では、どうすれば読んだ本を単なる知識から語れるネタに昇華させるのでしょうか。特に重要な5つのポイントを,これから説明していきます。

まず一つ目のポイントが比較することです。多くの人が無意識にやっているかもしれませんが、同じジャンルの中だけで比べるのではなく、全く関係ないありとあらゆる作品と比較せよということです。人間が得意なことは比較して組み合わせることでもあります。全く異なる領域にある2つのものを、結びつけた時に予期せぬ化学反応が起きて、新しい意味が生まれます。例えば、最近読んだビジネス書に書かれていた「組織論」と、昔見た映画に出てきた船のクルーの関係性を比較してみるとかです。ビジネス書で言っていた心理的安全性を高めるリーダーシップは、映画で船の中でやられていたことみたいに、片方だけしていても出てこない視点があります。全く違うジャンルを混ぜて新しい文脈を作り出すことで、誰も思いつかないような独自の視点が生まれます。

これがあの人の話は、切り口がユニークだと思わせる源泉にもなります。全く関係のないジャンルのもの同士を結びつけるのは、発想力が要ります。

日常的にどういうことを意識すれば、バラバラな知識が、点と点をつなぐ星座みたいに見つけやすくなるのでしょうか一つコツがあります。これは、何かに似ていないとか、常に自問自答をする癖をつけるということです。本を読んでいるとき、映画を見ているとき、誰かの話を聞いているとき、どんな,時でもこの構造のこの感情この展開前にもどこかで見たものと似ているなぁと考えることです。そのどこかの範囲を自分の専門分野とか好きなジャンルに限定しないそれだけで脳は勝手につながりを探し始めます。最初はうまくいかなくても繰り返すうちに思考の瞬発力が高まっていきます。常に似ているもの探しのアンテナを張っておくわけです。そうやって自分だけのつながりを見つけられれば、それはもう誰にも真似できない自分だけの話のネタになります。そして、そのつながりはあなただけのものだからこそ話に独創性が出て、人が惹きつけられるということです。比較することで独自の視点が生まれる。

その視点をどうやって深みのある話にすれば良いのでしょうか。単なる思いつきで終わらせないために、そこで重要になるのが2つ目のポイント、抽象化するということです。物語の具体的なあらすじや出来事から、より大きなテーマや教訓、普遍的なパターンを抜き出す作業になります。非常にラディカルで興味深い視点があって、抽象化は読者の仕事であり、作者には真似できないものでもあります。作者には作品に込めたかったテーマというものを確かにあるはずです。読者がそれを完全に無視して自分の解釈だけを押し付けるのは、果たして鑑賞と呼べるのでしょうか。作者の意図を汲み取る努力は重要です。ただ、本が言いたいのは、作者はあくまでも具体的な物語を作り出すプロであって、その物語から人生とは何かとか、愛とは何かといった普遍的な意味をどう吹き出すかは、最終的には読み手に委ねられるということです。

例えば、ある物語を読んで、「これは夢を追う若者の挑戦と挫折の物語だ」と要約する人もいれば、「いや、これは変わりゆく社会と、それに合う古い価値観と対立の物語だ」と要約する人もいます。どっちも間違いではありません。むしろその解釈の違いこそが面白いということになります。抽象化は自由なものであり間違いはないとあります。なぜなら私たちは自分の人生経験や価値観というフィルターを通してしか物語を読むことができないからです。そのフィルターを通して物語から自分だけの教訓を引き出す。このプロセスそのものが鑑賞の醍醐味であり、あなたの言葉に深みを与える源泉にもなります。つまり、本の内容を誰かに話す時も、ただあらすじをなぞるのではなく、この本で読んで色々考えたけど、私は結局人は変わりたいと願いながらも,変われない自分をどこかで愛しているという話だと思ったんだよというように、自分なりの抽象化されたテーマを語ることが大事になります。それができれば話は一気に立体的になります。単なる情報の伝達から、あなたの思想や人間性を伝えるコミュニケーションに変わる。聞き手は本の情報だけではなく、あなたのものの見方そのものに興味を抱くようになりますから、話が面白くなります。

そして3つ目は 「発見する」です。これがまた面白い視点であります。書かれていないこと、不在を読むことこそ批評の醍醐味であります。これは今まで作者が書いたことが全てだと思っていましたけど、そこに不在を探すという視点はなかったですね。なんかミステリー小説の探偵みたいです。まさに探偵の視点です。作者が意図的に隠したもの、あえて語らなかった背景、セリフの裏にある本当の気持ちを読み解くということです。作者は何かを隠したがっているという少し疑いの目を持って読んでみると良いです。例えば、ある家族の物語で食卓のシーンを何度も描かれるのに、なぜか母親だけが一度も発言しないとしたら、なぜ作者はこの母親を沈黙する存在として描いたんだろうと考えてみるわけです。その不在や目が、実はその家族が抱える問題の核心を示唆しています。そうすると、読者が単なる文字を追う作業から、作者との知的ゲーム宝探しのように変わっていきます。そして、その隠されたピースを発見した時に、物語は一層輝きを増すということになります。

このシーンで主人公が黙り込んだのは、きっと子供時代のあのトラウマを思い出していたからに違いない。作中では直接描かれていなかったけど、そう考えないとあの行動つじつまが合わないぞ、といった推理です。ただ、そこで一つ疑問が湧きます。その発見が本当に作者の意図したヒントなのか、それとも単なる自分の思い込み、深読み過ぎなのか、その境界線というのはどこにあるのでしょうか。その線引きは常に曖昧ですが、一つの目安はテキストに根拠があるかです。自分の解釈を支える描写や付箋が作品の中に複数見つかるかどうか。自分だけの妄想で終わらせないためには、必ず作品の中に戻って証拠を探す作業が必要になります。たとえそれが自分の深読みだったとしても、そのプロセス自体が作品を多角的に味わう訓練にもなります。自分だけの発見は、誰かに話したくてたまらなくなる最高のネタになります。確かにこの絵が一見ハッピーエンドに見えるけど、実はラストシーンのこの小物にバッドエンドを示唆する裏設定が隠されているんじゃないかと思って、なんて話をされたら、思わず詳しく聞かせて、となります。それができると、他の人とは全く違うレベルで作品を語れるようになります。

次に、よりマクロの視点で、社会や歴史という大きな文脈で作品を捉える視点があります。セットで考えると分かりやすいです。流行と不易です。つまり、変わるものと変わらないものを両方見ることです。まず流行から見ていきましょう。これは「時代の風」を読むということです。今、なぜこの作品がこれほどヒットしているのか。この時代に生きる人々が無意識に何を求めているのか。この作品が持っている、これまでの作品にはなかった新しさはどこにあるのか。そうした同時代的な視点を持つことです。例えば、数年前に大ヒットした作品を分析して、パンデミックを経て、人々がつながりとか絆といったものを強く求めれるようになった。その渇望にこの物語がうまく応えたから人気が出たんだろうなとか、そういうふうに考えるわけです。この視点があると、作品を現代的な文脈の中で語られることができます。ただ面白かったで終わるのではなく、今の私たちにとってこの物語は,こういう意味を持つんだという、より大きなスケールで話をすることができるようになります。自分の感想が社会批評的な鋭さを持つようになるということです。

一方、もう一つの雰囲気、つまり変わらないものを見る視点とは何でしょうかこれは時代を超えて、受け継がれる普遍的なテーマや物語のパターンのことです。神話や古典がなぜ今でも読まれ、強い影響力を持つかというと、そこには人間の根源的な感情に訴えかける普遍的な物語の型が繰り返し描かれているからなんです。例えば、英雄の旅立ち、挫折と再生、禁断の恋。「親子の葛藤」といったテーマです。今、私たちが熱狂している最新の作品も、実は何百年、何千年も、前から語り継がれてきた物語のパターンを現代風にアレンジしたものに過ぎないのかもしれません。古典的なテーマを知れば知るほど、物語を読むことは面白くなります。目の前の物語が、人類が語り継いできた壮大な物語の系譜の,どこに位置するのかがわかるようになると、その面白さも倍増します。一点の点が壮大な歴史という線の上に位置づけられる、そういう感覚です。この流行と不易という時間軸における2つの視点を持つことには、具体的にどんなメリットがあるのでしょうか。これは会話の幅と深さを劇的に広げます。常に世代が違う人と話すときに絶大な効果を発揮します。自分の好きなものが相手の知っている古典や名作とつながるわけだから、共通の道標が生まれます。今この瞬間の流行の話をしているようでいて、その背景には数千年の不易の歴史まで理解していることを示せる。これが会話に圧倒的な深みと,説得力を与えるようになります。友好だけを追っている、人とも古典しか語らない、頭の硬い人とも違う、両者をつなぐブリッジのような役割を果たすことができるようになります。

比較、抽象化、発見、そして流行と不易、これらを意識するだけで、明日からの読書体験、世界の見方そのものがガラッと変わりそうです。単純に本を読む技術ではなく、映画を観たり、音楽を聴いたり、あるいは人の話を聞いたりしている時にも応用できる、まさに万能の鑑賞の技術と言えます。

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