世界観
世界観というのはこの世界の捉え方です。世界観は。自分観や出来事の意味づけに影響し、それは感情、さらには積極性やモチベーション、行動範囲、ビジネスや人生の展開にも影響します。
世界観に対する考え方は、世界は自分に関係なく存在するという考え方があります。99.9%の人はこの一番この考え方を持っていると思います。そしてもう一つ、世界は自分の認識によって存在するという考え方です。この考え方は自分が認識するから。世界が存在すると考え方になります。
例えば宇宙があり、地球があり、世界があり、日本があり、東京があり、自分の家があり、そして自分がいるとこのような考え方です。自分がいようがいまいが、宇宙も存在するし、世界も存在するし、日本、東京も存在する。これがほとんどの方はこの考え方であります。
もう一つの考えというのは、自分が宇宙というものをイメージするか宇宙があって、自分が地球というものをイメージするから地球があって、自分が日本をイメージするから日本がある自分が認識するからこの世界が存在するそういう考え方です。よって自分が消えたら世界のすべてが消えるのです。このような考え方です。
この考え方が化学の研究でもあります。それが量子力学という考え方です。量子力学というのは最近すごく注目されています。いろんなところで量子力学の考え方が用いられています。量子コンピューターというのが作られています。この量子は一体何なのかといいますと。原子核、電子、陽子、中性子などの粒子と波の性質を合わせ持った物質やエネルギーの単位となります。これを量子といいます。物質の最小単位として原子がありました。原子は物質の最小単位でありさらに原子よりも小さい単位です。原子があって,その原子の中に実は原子核と原子というのに分かれていまして,その原子核もさらに陽子と中性子というふうに分かれています。このあたりの陽子と中性子といったような単位の物質のことを量子といいます。量子は粒子と波の性質を併せ持った物質というわけなのです。
これはどういう意味かというと、まとまった形を取らないという意味になります。まとまった形を取ったり取らなかったりするということです。こういう非常に不安定な性質を持つというのが量子なのです。
量子は人が見ていないところで形を取らず波の状態にあり、人が観察するとまとまった形を取るというふうに言われています。我々の後ろ側の世界は見ていません。この状況で後ろ側の世界はぐにゃぐにゃの状態です。ところが,パッと後ろを振り返ると,その世界がパッと形を取るわけです。
一元論。これは、世界は観察者が認識することで形をとるという考え方です。量子力学は一元論です。二元論。これは世界と観察者は別々に存在するという考えです。観察者、自分、自分は自分、世界は世界、自分がもしなくなっても世界がそのまま存在するという考え方が二元論です。ほとんどの場合、二元論になります。ただ、この一元論という考え方もあると思います。この量子力学は、一元論を取るわけであって、我々が認識しているから、この世界は存在するという世界観です。
この量子力学の考え方を用いた量子コンピューター、これが現在ものすごく進化をしています。量子力学は最先端の科学のように捉えられています。量子力学では自分の認識により世界を形に作られていくという考えです。これは仏教の自分は世界と分離している存在するという、分離して存在するという感覚は錯覚であるという考えに通じるものがあります。
結局、自分は自分、世界は世界と分離してますよというふうに思っていること、それは実は錯覚なのです。自分の自分と世界、そもそも一体なんだと、このように仏教も捉えているわけでありまして、量子力学的な考え方でもあります。最先端の科学と数千年前から存在する仏教が同じことを言っています。
他者も自分の認識によって存在するということになり、相手も自分と考えやすくなると、自分の評価への執着をわすれ、他責ではなく自責で考えやすくなります。他責という概念が存在し得なくなります。すべてが自分ですから現在起きていることが自分ごとになります。すべてが自分のせいと捉えるようになります。なぜかというと自分がそういう世界を認識しているからなのです。こういう考え方を、すべての自分が作り出している世界、自分が見せている世界、こういう風な考え方で、すべて自責になります。自責しかないのです。こういう考え方でいくと、困難が生じた時や対人関係に苦しむ時、こういった考え方を活用すると、意味づけが前向きになりやすくなります。感情の生じ方や苦しみの度合い、その後の行動も困る。こういう時に、この考え方で捉えるのです。考え方に絶対はありませんが、こういう考えを信じるもよし、信じないもよし、それは人の自由であります。困難が生じるとき、人間関係に苦しむとき、苦しい、つらいというとき、こんな考え方もあるというふうに知っておくと、その状況の捉え方が変わってきます。
それによって気持ちが楽になるというふうなことがあるわけです。つまり、他者からの評価を気にして恥をかきたくないとか、失敗したらどうしようとか、そうではなくて、他者というのはいないし、全部自分だし、だからそこまで評価に執着しなくたっていいんだよ。そうなると、エゴというのはそもそもないんだという話になります。エゴというものはあるから評価に執着しようとなり、評価に執着すると怒りや悲しみ、後悔、不安、焦りという感情が,強くなりそして自分を守ろう守ろうとそうなりますそうすると自分がミスをしたときは自分は悪くないと人のせいにしようと他責で考えます。部下がミスをして自分の評価が下がるものであれば、部下を激しく叱ります。そして自分の監督責任はないというふうに見せようとします。そして、部下が成果を出したときは、自分の手柄にしようとします。まさに最悪な関係になるわけです。
けれども、なんでこんなことをやっているのかというと、エゴが原因になります。自分が評価に執着しようとするからです。こんなことをするわけです。けれども、エゴなんかそもそもありません。全部自分だというふうに考え方になりますと、そういうふうなエゴ、評価に執着する必要もなくなります。困難が生じたときや、人間関係に苦しむときの考え方も変わります。嫌な上司がいると、嫌なお客さんがいるとかそう言ったって全部自分たちでしょうとそこで区別するからしんどいんでしょうと、区別しているのは自分なんだと、自分が認識している世界で自分の世界の人たちなのかなと。そう思うと、感じ方が変わってくるのです。
例えば、すごく嫌なことが起きたその時になんで自分ばっかりこんな目に遭うんだとついてないと自分はその程度の人間なんだと所詮自分なんてそんなもんだと自分には可能性はないとこんな風に考え方というのは普通なのかもしれません。しかし、それは,世界は自分に関係なく存在していて、いろんな人がいて、その人たちと比べるから、自分ばっかりこんな目に遭うんだと、ついてないと、自分は不幸だと、自分なんか所詮その程度だと、自分はそんな可能性はないんだというふうに思ってしまいます。
それが普通の考え方なのかもしれません。一方で、そういうふうなことはそもそもありえない。自分ばっかりこんな目に遭うという嫌なことばっかり。そうではなくて、自分の世界なんだよと。自分は所詮その程度人間なんだと。それは違うと。自分しかいないようなものなんだと。そういうふうにですね。そうか。自分がこの世界を見せていて、自分がこの世界を作っていて、自分がどう思うかによってこの世界も変わっていく。これ全部自責なのです。自分ばっかりひどい目に遭うとか、自分ばっかりついてないとか、そんなネガティブな考え方が存在しなくなるわけです。よって、辛い時苦しい時この考え方ってすごく前向きになりやすかったりします。そういう形で使ってみてください。
こんな考え方は今まで捉え方としてなかったと思います。こういう捉え方もあるということ。自分の部屋、自分の家、自分の業務、自分の会社、自分の業界、地域社会、世界全体、それを自分の世界と捉え、当事者意識を持つ。この世界の捉え方の話です。
自分の世界が狭い人は、自分の損得に執着し、周囲と衝突しやすくなり、感情が乱れやすくなります。自分の世界が広い人は、自分の損得に執着せず、周囲のために動くことができます。感情も安定しやすくなり、また人望も得やすく、組織を成長させていきます。世界を、自分の部屋と同じ。同じ感覚で捉えてみます。それは器やスケールを大きくすることにつながっていきます。