感情の設計
ビジネスコミュニケーションの場面において、感情の設計というのをできるようになっていきますと、人の可能性はもっと広がっていきます。どういう感情で臨むかというのを事前に設計してから、いろんなことに臨むということです。例えば、名詞交換のときにどんな感情で名詞交換をするか。嬉しいとか、楽しいとか、この人と話ができて面白いとか、そういう感情で名詞交換をすることと、そういうことを考えずに、なんとなく名詞交換するのとでは、名詞交換の会話の弾み方が違ってきます。そして、その後の展開も変わってきます。あるいは、部下との面談をします。どういう感情の状態で面談をすれば、どういうコミュニケーションができるのか、そういうことを事前に設計をして面談に臨みます。そういうことを考えずに面談に臨むのと比べると、また面談の展開も変わります。
ビジネスコミュニケーションでは、コミュニケーションの中でも、非言語コミュニケーション、特に、感情もコミュニケーションであるということが理解できれば、それをきちんと、実際のコミュニケーションを活かせるようになってきます。人のコミュニケーション能力が格段に上がっていきます。それが、だんだんとできるようになっていくわけです。
名詞交換もすごく良い展開になります。部下の面談もすごく良い展開になります。そういうことができるようになります。こういうふうなことを、今後ずっと、できるようになると、人の能力はすごく上がっていきます。感情の設計をできるようになっていくと、どんどん能力が上がっていきます。コミュニケーション能力だけではなく、説得力や関係構築力、組織運営力、いろんな能力が上がってきます。このような能力は、今後ますます重視される時代になります。
なぜならば、AIの進化です。AIの進化というのは、ものすごくスピードが速いです。ほぼ作業は自動化されるようになるわけです。AIについては、ものすごい進化の速さであります。肉体労働も相当ロボットが代替します。そして、人間に残される仕事は一体何か。そのうちの一つが感情を扱う仕事であります。この感情をもとに、いろんな人と仲良くなって、関係構築し、新しいビジネスの展開を作り、部下の面倒を見て、人間関係を醸成して、組織を運営していく。こういうところは人間の仕事として残ります。
そこで、感情があまり豊かでない人は、ロボットで仕事を取られます。なので、今後の時代は、感情がより一層クローズアップされます。感情を扱う力が注目されます。そして、やはり情緒豊かな人の方が、より強い付加価値を提供できる時代になってきます。今の段階から、より感情を付加価値として提供してくということを認識することが大事です。
情動伝染について、人がそういう感情になると、相手もそういう感情になります。相手にどんな感情に,なってもらいたいかこの場、このチーム、この組織にどんな感情になってもらいたいか、それを考えて、まずそういう感情になります。そうやって感情でその場をリードしていく相手をリードしていくこのようにできるようになっていくと周りが楽しくなっていきます。ここは本当に盲点であります。知らず知らずのうちにそういうことでできてしまう人もいるのです。誰と会っても楽しげに嬉しげに話す人います。そういう人には,どんどん人が集まってきます。そういう人柄なのです。お客様の部下も集まってきます。気を引きつけて、大きくなっていきます。そんな得な性格を持っている人もいます。そういうふうな人は、自然といい情動伝染をやっているのです。
その人に会うとなんか元気がもらえるとか、なんか楽しくなるとか、あの人が来るとパッと場が明るくなるとか、そういう人はいます。良い情動伝染は勝手にやっています。そして人が集まるわけです。人が集まるから事業も大きくなります。そういうようなことを,できている方は良いのですが、まだそこまでできていない人は意図的にできるように訓練していきます。そして、自分自身の感情の状態から相手との場をリードするところで付加価値を提供できるようにします。これはAIでは実現できません。AIは感情はありません。感情があるようには。できていますが、環境がないから情動伝染が起きません。ですので、人間の付加価値として、こういったところを今のうちから意識する、これはすごく大事なことであります。
エゴについて
エゴとは、自我とも言います。これが他者と。区別して、自己を認識する作用になります。この他者との区別というのが、苦しみの根源だというように言うこともできるのです。そこで、社会的比較というのがあります。
これは、生存本能から自分の立ち位置を把握するため、他者と比較し、自分の評価を高めようとすることです。人は誰しも、比較というのはすごくしたい気持ちになります。自分があの人と比べてどうかというところです。自分の評価を高めようとする行為の例としては、努力する。自慢をする。自分をよく見せようとする。自分の話をし共感や称賛を求める。他者を悪く言う。こういうようなことを続けて自分の評価を高めようとするわけです。
エゴは、自分の他者との評価を比較して、他者の他社自身の評価を高めようとする行為に脅威を思い、嫌悪します。そのため、エコが強いと他者の幸せを妬み、他者の不幸を喜ぶ。それが結果として、自分の評価を下げるようになります。組織において、上司のエゴというのは、部下のモチベーションや離職率、組織の成長にものすごく影響をします。大事なことは、エゴと自分が向き合い続けることができるかどうかということです。そうでないと、組織が成長できるものが成長できないというふうになっている可能性もあります。
ですので、エゴというものが自分を守ろうとするわけですから、それがかえって自分の評価を下げることになります。それによって、人望がないとか、部下のモチベーションが上がらないとか、それで業績が伸びないとか、そのような組織があります。
仏教の教えでは、主な苦しみの根源は「我癡」「我見」「我愛」などの「自分は世界と分離して存在している」という錯覚によるものとし、エゴを錯覚と捉えますこの錯覚により、自他を区別し、自分に執着するほど怒り、不安、緊張、嫉妬、劣等感などが生じしやすい。こうやって自分は自分、他者は他者で区別して自分というものの存在を守ろうとすればするほど、自分をよく見せようとします。だからこそ、自分の評価を下げられるようなことをされたりすると怒りが湧くし、自分の評価が下がりそうなことが起きるようになったら、不安が生じたり、焦ったり、緊張をするし、人が評価が高まると、嫉妬するし、それに関して劣等感を覚えるし、これは自分というものに執着すればするほど、ネガティブな感情と生じしやすくなるのです。よって、苦しみの根源は自分であります。もっと言うと、自他の区別であります。ただ、それは。錯覚なのです。自分を世界で分類して存在していると思ってしまうという錯覚です。これを仏教は言っています。これが錯覚だというふうに気づけるかということです。これはなかなか難しいことではありますが、もはや悟りの境地みたいな話でもあります。人がこれに気づいていますよという方はいるかもしれません。悟っているかもしれません。仏教ではこのように言っています。
感情に苦しむときは、自分への執着が自分を苦しめている。どう思われても構わないと執着を手放します。また、左脳による自他の区別が苦しみをもたらします。自他の区別は錯覚、相手も自分と考えてみます。これについては、量子力学でも似たようなことを言っています。
量子力学は、原子よりも小さい単位の物質のことを量子というわけです。その単位になってくると、まとまった形を取らないというような性質があります。人間が観察すると、まとまった形を取るということになります。これが量子力学の考え方です。量子力学では、自分の認識による世界は形作られるわけです。これは、仏教の自分を世界と分離して存在しているという感覚は、錯覚という考えに通ずるものがあります。自分が認識するから、世界が形作られるわけです。これは自分イコール世界です。これは仏教の考え方と非常に近いものです。この場合、他者も自分の認識によって存在することになり相手も自分と考えやすくなります。そして自分の評価への執着も薄れ、他責ではなく自責で考えやすくなります。自責でしかないのです。自分が認識しているからそういう世界があるわけです。現在アメリカとイランが戦争をしているのも自分のせいです。ウクライナとロシアが戦争しているのも自分のせいです。なぜかというと、自分はそういう世界を認識しているから。これが量子力学的な考え方なのです。すべてこの世界で起きていることは自分のせいであって、なぜかというと、自分がそういう世界を認識しているからであります。
もう少し踏み込んでいると、結局、この世界というのは自分の内面の投影であるという考え方もあります。自分の内面の状況がどういう状況にあるのかを知りたければ、外で起きている世界の状況を見ろと、これこそが自分の内面で起きていることであるという考え方もあります。これはあくまでも考え方です。困難が生じたときや、対人関係に苦しむとき、こういう考え方を活用すると、意味づけが前向きになりやすくなります。結局、嫌な人がいる、嫌いな人がいる、怖い人がいる、でも、それも自分が認識して自分が作り出している人と思えたら、気の持ち方も変わるようになります。その苦しみの度合いとか、感情の生じ方により、その後の行動も変わるわけです。
それから、自分の世界の範囲をどこまで捉えるのかという考え方をお話をします。自分の当事者意識を持っている範囲というのは、その範囲なんだということに気づいていくわけです。一般の道も、自分の部屋も同じ感覚で捉えることができれば、道に落ちているペットボトルも、自分の部屋に落ちているペットボトルも、同じ感覚で拾えるわけです。ところが、それを拾おうとしない、なぜかというと、自分の当事者意識を持って接する世界というのは、自分の部屋、自分の家、自分のオフィスや勤めている会社、そこまでは当事者意識を持って関われます。それ以外のことを知りませんとなります。そうやって人はそれぞれ当事者意識を持って関わる世界の範囲というのがあります。ここまでは自分のこと、ここから先は自分には関係ない。線を引くのではなく、自分の世界を広げていくという器や自分の世界を広げていくと器やスケールが大きくなり、感情も安定しやすくなります。また、周囲のために動くことができ、人望も得やすく、こういった人が組織を成長させます。上の立場の人ほど意識が求められます。
逆に、自分の世界が狭い人は、自分の損得に執着し、周囲を衝突しやすく、感情が乱れやすくなります。自分は自分、他人は他人、明確に線を引き、自分が得することばかり考えます。他のことはどうでもいい、いかに自分が得をするかということばかり考えていきます。そうすると、器とかスケールはすごく小さくなります。そういった人には、人がなかなかついていきません。そして自分が得することばかり考えていると、かえって感情が乱れやすくなります。自分がちょっとでも損をするようなことがあると、許せないのです。なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ。おかしい、あいつはずるい。怒りとか、不満とか。妬みとか劣等感などこういったものに苛まれるとなります。なので、そういったところもですね、もう少し自分が当事者意識を持つ世界を広げてみることです。もう自分のこの範囲のことだけ良かったら、あとは知らんという考えではなく、もう自分の世界というものをもっと広げてみましょう。そうするともっとおおらかになります。それが結果として感情の安定につながっていきます。そういうところがスキルや人望というところにつながっていきます。
そして統合的意味づけモデルについて、人間の性質についてあります。人は過去の困難に対して、あれがあったから強くなれた、成長できた、大切なことに気づけたと意味づけをする傾向にあります。過去に大変な経験があり、その時すごく,ネガティブな意味づけをしていたと、今振り返ってみると、あれがあったから自分を成長できたと、強くなれたと、そんなふうに意味づけをしていることって結構あると思います。これは過去そういうことがあったということに、今後そういうふうなことがきっとあるはずです。今後、人は大変なことに出会うかもしれません。そういうふうな時も、今までの経験上、つらいこと、大変なことがあっても、あれが新たな成長できたというふうに意味づけに変わっているよと、今後起きることもきっとそうだよというふうに捉えることもできるのです。ですから、困難に陥ったときは、人生全体の時間軸から今を俯瞰して捉え、今の苦しみは、いつまでも続くわけではないと考えます。だって過去がそうでしょうと、過去苦しかったことって、その苦しみずっと続いてますかというと、そんなことはないわけです。その時はすごく辛かった、でも時間が経てば、その苦しみってだんだん解消されていくわけです。そして意味づけも変わってきます。過去の苦しい経験に対し、あれがあったから強くなって成長できた。大切なことに気づけたと意味づけをしています。こういうことを思い返して、今起きている困難に対しても未来においてはそういう意味づけをしているよという風に捉えると、ずいぶん気持ちも楽になります。今は確かに辛いよと、今は辛いよと、だけどこの苦しみもいつまで続くわけではないし、未来になったら、あれがあったから成長できたんだ、あれはあれで良かったんだって言っているよと、だって過去がそうじゃないという捉え方で、今の困難に臨んでいきます。また、気が楽になります。
人間というのは未来に絶望するとエネルギーがガクンと落ちるわけです。今どんなに辛いことがあっても、未来に希望があるはずです。未来に絶望してしまうと、生きる気力は失ってしまいます。ですので、未来の捉え方というのがすごく大事になります。この苦しいことがいつまでもずっと続くって思いがちなのですが、そんなことはありません。だって過去がそう、過去につらかったこと、いろいろあったけれども、ずっと苦しみが続いていたわけではありません。だから今辛いことがあるけれども、それはいつまでも続くわけではありません。そして後になって振り返ってみたら、あれがあったから良かったんだと言っているよと。だって過去がそうでしょうと。これは自分に対してそういうふうに自分を落ち着かせるということです。自分を励ますということにも使えます。他者に対しても使います。他者がすごく落ち込む。なんなら、パニックになっている。そういう人に対して、こういう話ができます。「過去に大変だったこと終わりですよね、でもその大変だったことにみんなはどんな意味づけをしてますか、ポジティブな意味づけになっていませんか、これは今回も同じですよ、今目の前に起こっていることは辛いけれども、未来になったらきっと別の意味づけに変わってますよ。だって過去はそうじゃないですか」と言ったら説得力があるわけです。
だから今は辛いかもしれませんけれども、この苦しみはいつまでも続くわけではない。未来になったらきっとあれがあったから良かったんだと言ってますよ。なんなら、話題の盛り上がりになるかもしれません。あの時、辛かったね。それで話のネタに盛り上がって いるかもしれません。そんな話ができると、ずいぶん相手も前向きにやれるわけです。